心の学校キャンパススタッフ リッキー!ラッキー!ハッピー!のリッキーこと、川村力雄です。今日も、こうしてここに来てくださって、本当に、本当に嬉しいです。心から、ありがとうございます。
感謝の気持ちで胸がいっぱいです。どうか、ゆっくりしていってくださいね。
前回は、父のことを書かせていただきました。何も知らなかった。あれほどまでに、私のことを愛してくれていたなんて。それを知ったとき、心の奥から、言葉にならない思いが溢れ出しました。
これが、偽らざる、私の本心です。そして、思ったんです。きっと母のことも、何も知らないんだろうなぁ、と。母に対して、わだかまりなんてなかった。むしろ、感謝しかない。
ずっとそう思っていたんです。だって、幼い頃、夜中の2時、3時、喘息で息ができなくなるたびに、急な坂道を、私をおんぶして何度も何度も、病院まで連れて行ってくれたんですから。
1回や2回じゃありません。軽く、百回は超えています。そんな母に、マイナスの感情なんて、あるはずがない。そう思っていたんです。
ところが、私の右目が生まれつき見えないことを佐藤先生にお伝えした時、「お母さんに対して、何かマイナスの感情は?」とおっしゃるんです。
「ありません、感謝しかないです」私は、即答しました。でも、先生は続けて「形からでもいいから、ゴミ出ししてみたら?」と。何かを感じ取とられたのでしょう。
その言葉の意味もわからないまま、私は行動しました。「なんで、五体満足に生んでくれなかったんだよ」「右目が見えないせいで、いじめられたんだぞ」心の奥底にしまい込んでいた言葉が、自分でも信じられないほどの勢いで、溢れ出てきます。
無意識に、心にフタをしていたのかもしれない。身体の弱かった自分を、必死に育ててくれた母に対して、そんなことを思ってはいけないと、無意識に、ブレーキをかけていたのかもしれない。
しばらくすると、その激しい言葉の裏側から、こんな想いも湧き上がってきたんです。「きっと、母もつらかったんだろうなぁ」「強く生きてほしいと願ってたんだろう」「右目のことを、言い訳にしてほしくなかったのか」
母の、深くて、静かで、力強い愛が、形を持って私の心に流れ込んできました。ゴミ出しという、たった一つの行動から私は、今まで感じたことのない“本当の感謝”に、出会えたんです。
それまでの感謝は、「親だから」という頭での理解に過ぎなかった。でも、ゴミ出しをし、そして、本当の自分に目覚めた時、心が、体が、震えるほどに“ありがとう”という想いで、全身が包まれたようでした。
1600万、詐欺に遭った時、絶望のどん底にいた私を救ってくれたのも、母でした。私が母に相談したわけではありません。でも母は、私の様子を見て、何かを感じ取り、静かに、そっと、手を差し伸べてくれました。
今、母は入院しています。「家にはもう戻れないでしょう」と、医師に言われています。病気を治すための入院ではありません。家での介護が難しいため、療養型の病院にお世話になっているんです。
母に会いに行くたび、「いつ、家に帰れるの?」と聞かれます。胸が、締めつけられるように、痛みます。叶えてあげたい。でも、それは出来ない。水分も、自分では取れず、食事も、トイレも、すべて誰かの手を借りなければならない母。
妻も、フルタイムで働いています。母を一人には、できない。けれど、そんな中でも、母が入院したことで、気づけた「幸せ」もあったんです。
私が頼んだわけでもないのに、妻が、自ら進んで、母のもとへ行ってくれるんです。「しかたなく」じゃない。
その優しさに、私は胸を打たれ、改めて、感謝の気持ちが溢れています。母も、妻のことを大切に想ってくれています。
命を懸けて、私を育ててくれた母が、今、私たち夫婦の絆を、さらに深めてくれている。そう、心から感じるのです。ありがとう、お母さん。
最後に、夫婦というものについて、つくづく思わされた出来事を、ひとつだけ。先日、病院で看護師さんから、こんなことを聞かれました。
「アキラさんって、息子さんですか?」「いえ、父です」「そうなんですか。お母さんが、寝言で“アキラさん”って、何度もおっしゃっていたので…」父の名を、母が寝言で呼ぶなんて、、、思ってもみませんでした。
とくに仲が悪かったわけでもありませんが、亡くなって何年も経つ父の名を、今もなお呼んでいるなんて。母は、きっと今、若い頃の自分に戻っているのでしょう。
心の奥底で、何かを思い出しながら、生きているのでしょう。
今日はここまでにさせていただきます。最後までお読みくださり、ありがとうございました。また、ここでお会いできる日を楽しみにしています。
愛と感謝を込めて 川村力雄
心の学校キャンパス事務局