こんにちは。心の学校キャンパスの吉田です。
少し前まで『ていねいな暮らし』という言葉をよく聞きました。SNSなどでは、温かみのある木の食卓やリネンのエプロン、朝の1杯のコーヒーに心を込める暮らしが、静かにブームになっていました。
けれど、最近はあまり聞かなくなった気がします。みんな丁寧に暮らしてないのでしょうか?いえいえ、そんなことはありません。
雑誌の特集からも消え、タイムラインに流れる投稿の主役はもっと効率的で、実用的で、合理的なライフハックへと変わっていったような印象すらあります。
だけど、それは“言葉”として耳にしなくなっただけで、暮らしの中から消えたわけじゃない。むしろ、静かに、深く、私たちの日々に根を張っているのだと感じます。
ゆっくりと流れる時間の中で、心穏やかに過ごしている“誰かの暮らし”がそこにはあります。
そして、ふと疑問が湧きました。『ていねいな暮らしって、本当に幸せなんだろうか?』理想とされる暮らしの風景はたしかに美く羨ましく思います。
でも、私たちの毎日はそんなにきれいに整ってばかりじゃない。朝は慌ただしく、お気に入りのマグカップよりも洗ってないコップをとりあえず使う日だってある。
夜も気がついたらソファで寝落ちしていてていねいどころか雑に暮らしてしまった…と自己嫌悪することも。
だけど、ここで一つ気づいたことがあります。『ていねい=完璧』ではないということ。ていねいな暮らしは『余裕がある人の特権』のように思われがちだけれど、実は、ほんの少し“意識を向ける”だけでもていねいさは生まれるのかもしれません。
たとえば──
・スマホを置いて、目の前の人と ちゃんと向き合う時間
・お気に入りのマグカップで ほんのひととき心を落ち着けること
・季節の移ろいを感じて あえて手間のかかる料理をつくってみるだったり。
こうした選択は、流行とかトレンドとは関係なく“自分を大切にする気持ち”から生まれています。
今の時代は、情報も、モノも、予定も、目まぐるしく溢れていて丁寧さよりスピードや効率が重視されがち。
でも、そんな時代だからこそ、ていねいな暮らしが本当に求められているのかもしれません。「自分にとって心地よいかどうか」を軸に小さな選択を重ねていくこと。
ていねいに暮らすことが、いつの間にか自己満足でも虚飾でもない心の輪郭をやわらかく整える手段として根づいてきた。
そんな気がしています。
5月8日(木)にカレーカフェSHINGAにてお花の命をつなぎ、生活に少し彩を与えるフラワーワークショップイベントを開催します。
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心の学校キャンパス事務局