こんにちは!心の学校・キャンパススタッフの佐藤です。本日もお読みいただきありがとうございます。どうぞよろしくお願い致します。
「あなたの偏差値ならA大学の○○学部ね。え?B大学で心理学を学びたい?何を言ってるの? 偏差値から考えたら、A大学でしょ。B大学なんて行ったら浪人することになるわよ。親御さんに金銭的負担をかけるつもりなの?」
高校3年の進路相談で、先生にこう言われました。
その瞬間、怒りで心が煮えくり返るのを感じました。なぜ、やりたいことを偏差値という枠の中に押し込めようとするのか。なぜ、「どうすればB大学に行けるのか」を一緒に考えてくれないのか。
周りを見渡すと、皆が「自分の偏差値に合った道」を選んでいるように思えました。本当にそれでいいの?18歳の私は、答えを持っていませんでした。
答えを探して、私は勉強そっちのけで本を読み漁りました。世の中に蔓延する「長いものには巻かれろ」という空気がどうしても耐えられませんでした。
そして、親に「日本を出たい。留学したい」と懇願しました。両親は理解を示してくれました。母は、何十年も働いて貯めた退職金を私の留学費用にあててくれました。
アメリカの地を踏んだとき、私は心機一転、夢と希望に満ちていました。
新しい環境で、友達を作って、思いっきり学び、楽しむ。そんな自分になれると信じていました。でも、現実は違いました。
英語が話せず、怖くて話しかけられず、自分の殻に閉じこもり、日本人の彼の家に引きこもる日々。授業には最低限だけ出て、あとは部屋にこもっていました。
大きな夢を抱いて飛び出した自分が、アメリカで人と話すこともできず、部屋で怯えている。情けなくて、悔しくて、たまらなかった。
母の退職金。父の応援。それらを思うと、申し訳なさで胸が潰れそうでした。「何かに成功して、必ず親に恩返ししたい」そう思って、本を読み漁りました。
成功者と呼ばれる人の言葉を、自分の心に叩き込みました。でも気づけば、読めば読むほど自分を責めていました。
できていない自分に落ち込み、周りの人まで、その物差しで裁くようになっていました。
心が重くて、苦しくて、どうしようもなかった。でも、「苦しい」と誰にも言えなかったのです。自分で選んだ道だから。何かを成し遂げるまでは、弱音を吐いてはいけないと思っていました。
人に弱さを見せられない私の、もう一つの弱さでした。
今、もしあの頃の私に会えるなら、まず教えてあげたいことがあります。「心のゴミ出し、していいんだよ」と。溜め込んだ悲しみや怒り、不安や悔しさ。「出しちゃいけない」と思っていたその感情を、思いっきり外に出してもいいんだって。
まずはそこから始めてほしい。そして、善悪のジャッジなんて一切せず、ただ、徹底的に話を聞いてあげたい。あの時の私の、心の声を。
本当の自分に気づけたのは、あの苦しみがあったからこそです。
あの頃は見えなかったけれど、遠回りして悩んだからこそ、「これだ」と思える感覚にたどり着けました。
もしまた、あのアメリカの地を踏める日が来たら、その時は、息子たちを連れて行きたいです。そして、あの頃の苦しみに向かって「ありがとう」と言える気がするのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
心の学校キャンパス事務局