亡くなって知る父の愛

今日も、足をお運びくださいまして、ありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。心の学校キャンパススタッフリッキー!ラッキー!ハッピー!のリッキーこと川村力雄です。

最後まで、お付き合いいただけると嬉しいです。

「もうすぐ子どもが生まれる。待ち遠しい。早く会いたい」これは、父が書いたものです。亡くなってから見つけました。

私の誕生をこんなにも待ち遠しく思っていてくれていたとは知らなかった。

子どもの頃、私は、父を恥ずかしく思っていました。「バカボンのパパだ」と同年代の子にからかわれるからです。

そうです。父は、庭師でした。天気が続けば仕事を休むし、雨が降れば仕事ができない。朝は晴れていても、途中で雨になれば、ずぶ濡れになって帰ってくる。

友達のお父さんは、いいなぁ。ネクタイして、スーツ姿でかっこいいもん。それなのに、、、

何で、お父さんは、汚い格好で帰ってくるんだろう。そんなふうに、父を思っていたんです。

書きながら、

父に申し訳なくて、目頭が熱くなっています。

「ごめんなさい、お父さん。家族のために、体を酷使して支えてくれていたのに。感謝どころか、かっこ悪いって思っていて」職人気質の父は、口数が少なく、甘えられるような人ではありませんでした。

ところが、です。まさに、リアル未来内観としか思えない出来事があったんです。

「未来内観コース」は、天寿をまっとうして死ぬ直前、一点の曇りもなく「最高の人生だった」という境地から、本当の自分に目覚める講座です。

その日、私は長野の予備校に行くことになっていました。

入退院を繰り返していた父が、前の日から、身体がしんどそうだったので、お世話になっている病院に電話を入れ、受け入れを承諾してもらいました。入院慣れしている父です。

それまで、入院を嫌がることはありませんでした。しかし、その日は違ったんです。

「入院しない」と言い張ります。「これから、長野の予備校に行くんだ。だから、入院してくれた方が安心なんだよ」と、説得したのですが、頑として拒むんです、入院を。

父の姉で、口うるさい伯母がいました。「もし、入院しないで、手遅れになったら、伯母ちゃんが怒るよ」とも、言ったんですが、「入院しない」と。

死を覚悟していたのかもしれません。病院では死にたくない。家で死にたいんだ。そう、思っていると感じたので、何も言えなくなりました。

しばらくして、父が言ったんです、母と私に。「今まで、ありがとう、よくしてくれて。幸せだった」って。

結局、長野にいる時、父の死の知らせを受けました。死に目には会えなかったんです。父が言ってくれた「今まで、ありがとう、よくしてくれて。幸せだった」が今でも思い出されます。

こんなこともありました。父が亡くなってから、数年経った正月の朝、妻から、こう聞かれたんです。

「なぜ、あなたが一人っ子か、知ってる?」私は、小さいとき、身体が弱かったので、「育てるのが1人でも大変だと思ったからじゃないの」と言いました。

すると、妻は「さっき、義母さんが言ったんだけど、、、義父さんが、子どもは力雄だけでいいって、義母さんに言ったんだって。

弟か妹ができたら、そちらに目がいって、力雄がさみしい思いをするといけないから」

父が、そんなにも私のことを思っていてくれたなんて、知りませんでした。

母からも、この話しを聞いたことはなかったんです。

亡くなってから知った父の私へ深い愛。

私たちは、妄想の中で生きています。だったら、思いっきり愛と受け止めたらいいと思うんです。

私のように、亡くなってから知ったのでは遅いですから。今日も、最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。また、こちらでお目にかかれたら嬉しいです。

愛と感謝を込めて  リッキーこと川村力雄

心の学校キャンパス事務局