不登校は最高の人生への入り口!

皆さん、こんにちは。「心の学校キャンパス」スタッフの金田美好です。

日頃からメルマガをお読みいただき、本当にありがとうございます。

私は12年前、YSメソッドに出会いました。その頃、私は娘の不登校や引きこもりに悩んでいました。

私が本当の自分に出会うきっかけは、娘の不登校、引きこもりでした。元々、自分に自信がない劣等感のかたまりのような私でしたが、YSメソッドに出会い、自分の人生に向き合い心を掘り下げて、本当の自分に目覚め、娘の問題がうそのように解決し、ガラッと人生を変えることができました。

今、振り返ると、不登校で引きこもりの娘を抱えながら、毎日を過ごすことが精一杯で、全く何が起きているのかもわからない状態でした。

今なら、あーそうだったのか?と思うこともあります。

そういう観点から、何か少しでもお役に立てたらと、私の体験談をお伝えしようと思いました。

私は昭和36年に生まれました。長女の姉とは、一卵性双生児で、6才下に妹が生まれ、3人姉妹の真ん中でした。

父母は家の跡取りが亡くなりいない家に、跡取りをもうける為、祖父母が両方の親戚から連れてきて、お見合で跡取りとして結婚させたそういう経緯だと聞いています。

当時20才過ぎたくらいで結婚したくない母と、10才近く年上の父。

母はこんな人とは結婚したくなかったが、自分の父と姉に強烈に「この人と結婚しなさい」とプッシュされ、断れずに結婚するしかなかったと、よく言っていました。

父はワンマンタイプで、女子どもは家長の言う事を聞けという感じで、ガンガンとトップダウンで仕事を進め成功はしましたが、家庭でもいつもトップダウンで厳格な父でした。

父は始めは会社勤めをしていたのですが、ある時、突然に会社を辞めて自分で起業し、会社を始めました。

それも母に相談せず、勝手に仕事を辞めて商売を始めました。

頑固な父は、母に仕事を手伝ってほしいということは一切頼みもせず、1人で会社をやり始めました。

結局、会社は父1人では回らないため、見兼ねた母が仕事を手伝わざるをえない状況で、父を支えましたが、父が母に「ありがとう」と言うのを聞いた事がありませんでした。

昭和1桁の頑固な父と、何でも話し合って決めたいと思う母は、価値観が全く違う2人で、お互い自分が正しいという信念が強く、相手の話しを全く聞けない状況でした。

そういう両親の価値観の対立で、家庭はいつも戦争状態のようでした。

商売をしていると、いろいろな問題も起きてきて、さらにひどい怒鳴り合いやケンカがいつ始まるかわからず。

まるで戦場にいていつ爆弾が爆発するかわからない感じで、いつも不安な子ども時代でした。

佐藤先生の言葉で「愛の反対語は」とあります。

「私の考え」「私の価値観」というものが、「私こそ正しい」という分離の心を生み、その別の価値観同士が対立して争いが起きる。

相手の話を聞く耳を持つ大事さ。それを頭ではわかっていても、どうにもなりませんでした。

最後までお読みいただき、有難うございました。

心の学校キャンパス事務局