皆さん、こんにちは。「心の学校キャンパス」スタッフの金田美好です。
日頃からメルマガをお読みいただき、本当にありがとうございます。
私は12年前、YSメソッドに出会いました。私が本当の自分に出会うきっかけは、娘たちの不登校、引きこもりでした。
なんとか娘の問題を解決したくて、本当の自分の開発を始めました。
当時、娘の不登校の渦中の中にいた私は不登校しているのは、娘に問題がある。
だから、娘をなんとかしなければいけないと真剣に思い、娘をなんとかしようと一生懸命でした。
娘は医師もカウンセラーも嫌だと拒否し、何を言っても動かない状況で、私はどうすることもできませんでした。
そんな時、すべてはあなたの人生に起こっている事でしょ。
だから自分自身を見つめていかないと‥どこか相談に行った際に言われたこの言葉に引っかかるものを感じ、もしかしたら、子どもでなく自分自身が変化することかもしれないと、心のどこかで感じていました。
娘たちの未来がかかっています。
お尻に火がついた状況で、有名なカウンセリングの先生のカウンセリングを受けに行ったり、ママ友から誘われてヒーリングを受けたり、たくさんの本を読み、いろいろなメソッドを試したりしました。
いろいろやりましたが、娘たちが大きく変化することはありませんでした。
私は、どこまでも子どもたちを三日月に見て、それをなんとか丸くしようという下心がありました。
実は私も自身も小学校高学年頃、学校に行きたくない事がありました。
あまりに両親のケンカがひどくて、いつ母が家を出て行くかわからないと不安でした。
学校に行こうと思うと、お腹が痛いとか気分が悪いと感じ、学校を休みたいと母に相談したことがありました。
その時、母から「家は学校に行かない人間には、ご飯は食べさせない」とお父さんが言っていると言われました。
食いしんぼうの私には一大事です。この家で生きていくには、親の言うことを聞くしかないと思いました。
そんなある時、両親がひどいケンカをしている姿を見た私は、私は絶対にあんなに醜い人間になりたくないと、心底思いました。
子どもにとって、両親が仲がよい事は何ものにも変えられない宝だろうと思いますが、当時の私には、そういうモデルが身近にいませんでした。
両親のように、人とぶつかってばかりにならず、人とうまく付き合っていくには、どうしたらいいんだろう?
子どもなりに真剣に考えました。
そこで私が立てた作戦は、親切な人になればいい。人に役立つ人になればいい。そうしたらなんとか、人に攻撃されないで生きられるだろう。人ともめないだろう。
そう思った私は、親切な人というお面をつけました。それが私の人生サバイバル術でした。
ここまで、お読みいただきありがとうございました。
また、続きを書かせて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします。
心の学校キャンパス事務局
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