動かぬ右手が財産になったとき

こんにちは。心の学校・キャンパススタッフの池田和秀です。

私は産まれたときから、右手と右足に障がいがあります。

右手は細かい動きができず、パソコンのキーをたたくときも人差し指の1本しか使えないため、左手の5本とあわせて6本の指で、この文章も書いています。

子どものころからずっと、そして大人になってからも「この手が動いたら」と思い続けて生きてきました。

この右手のせいでずいぶんと悔しい思いをしました。

小学校の体育では、鉄棒ができない、跳び箱も飛べない、球技も思うようにはできませんでした。

音楽では、たて笛の穴が押さえられず、家で練習していてもテスト曲が吹けなくて、たて笛を壁に投げつけたこともありました。

友だちと一緒に遊んでいても、私だけが特別扱いされたりして、例えば鬼ごっこで私だけ2回捕まるまでアウトにならないといったようなことがあり、そのため上手く友だち関係になじめず、自分の中に引きこもりがちでした。

中学・高校のころは、仲の良かった友だちが次々とギターを始め、バンドをつくって盛り上がってるなかで「自分も手が自由に動けば、一緒に出来るのに」と淋しい思いをしていました。

日常生活での不自由を感じることも多く、私にとって、動かない右手は、人生の障害物であり、重荷でしかありませんでした。

ところが、その思いから完全に解放されるときがやってきました。

それは、心の学校の真我開発講座を受けていくなかでのことです。

「思うように動かない右手」をテーマに心を掘り下げていったときに「この右手こそ、自分のかけがえのない個性なのだ」という気づきが出てきたのです。

「普通に動く右手だったら、まったく別の人生だったかもしれない。この右手で産まれてきたからこそ、自分にしか経験できない人生を歩んでこれたのだし、自分の持ち味も自分のよさも、全部この右手があったからこそなんだ」

そういう思いが、心の深いところからわき上がってきたのです。

それ以来、動かない右手を悔しいと思うことも、辛いと思うこともこの右手が動いたらなあと願うこともまったくなくなりました。

もし「右手が動かない自分は不幸だ」と思い続けていれば、私は一生、心の中に不幸を抱えながら得られないものを求めながら人生を終えていたことでしょう。

心の学校と出逢ったおかげで私は自分の右手を「財産だ」と思えるようになりました。

頭でそう思おうとするのではない、心の深いところからくる根っこからの自己肯定を手にすることができたのです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

心の学校キャンパス事務局