つらい義両親との同居から大好転、家族が大調和!

こんにちは。心の学校キャンパスの星野です。

今回は、「つらい義両親との同居生活」から、家族の絆と調和を取り戻した、感動の体験談をご紹介します。

何年にもわたる葛藤と苦しみの中で、ご本人が「本当の自分」と出会い、気づきを重ね、やがて家族が涙の再会と癒しを迎えるまでのストーリーです。

ご自身の意識が変わることで、家族全体が変化していく――そんな奇跡のような体験に、
きっとあなたも心を動かされることでしょう。それでは、広島県・I.Tさんの体験談をどうぞご覧ください。

「つらい義両親との同居から大好転、家族が大調和!」I.Tさん(広島県)

32年前、私は夫と結婚。と同時に、夫とともに会社経営をしている夫の両親との同居となり、三人の息子が生まれました。

同居生活はすべて夫の両親中心で、とても不自由でした。夫は両親に対して何も言わないので、私は次第に不満を募らせ、「私はなぜここにいるのか?」「この家にいない方が良いのでは?」と思うようになりました。

この状態が28年経った末、三男が突然会社に行けなくなりました。夫の両親は母親である私に責任があると、激しく責め立てました。

悲しみとともに「いずれ三男を連れてこの家を出ていくことになるだろう」と思っていました。縁あって瞑想会へ参加するようになり、講座の受講を重ねるうちに、三男が関東の会社へ復職しました。

しかし、再び会社に行けなくなり音信不通となりました。生きているかもわからない。私はとにかく迎えに行こうとしましたが、家族全員に激しく止められました。

瞑想会しかないと、必死で毎日参加しました。ある日、瞑想中、私がこの家に来ると決めたのに、自分を守ることに必死で、夫を全くわかろうとしていなかったことに気づき、夫に謝り、感謝を伝えました。

夫は私に「これからも一緒にいてほしい」と言ってくれ、涙の和解をしました。そして夫と三男を迎えに行ったのです。

三男は、暗い部屋にぽつんといました。生きていてくれました。夫は立ちつくし、涙を流していました。

三男は言いました。「僕は、苦しんでいるお母さんを早くあの家から連れ出してあげたかった。自分がこんなになったから帰れない」と。

「あー、これだったんだ。三男がモノを言えず、動けなくさせていたのは私だった」。三男に家を出る話は一度もしたことはないのに、私の思いを察して、それに答えようとしていたのです。

三男は命をかけて、私たち夫婦が仲良くなって、迎えに来るのを待っていた。私は夫からプロポーズをされたことを話し、親子三人で抱き合って泣きました。

それから、私は舅姑、夫の言うことを素直に気持ちよく聞けるようになっていきました。私の意識が変化するたびに三男も変わっていき、家族を避けていた三男は、今では家族みんなと一緒に夕食を食べるようになりました。

ある時、三男が「お母さん、この家は変わったね。平和になったね。お母さんは過去のことで自分を責めちゃいけないよ。僕の中からもう過去は消えたよ。お母さんはね、もっと自由にやりたいことをやればいいんだよ。これは僕がいま一番言いたいことだよ」と言うのです。

本当の自分で、自由に楽しく喜びと感謝で生きてほしい、その姿を見せてほしいと言っているように聞こえました。

本当の自分しかありません。今、三男は舅姑の庭や畑の手伝いをしています。見ていて微笑ましい光景に涙が出ます。

夫は色々なことを話してくれるようになり、二人でよく笑うようにもなりました。そして先日、会社では思いもしない大きな仕事が舞い込んできました。

取引が全くない遠方の会社さんが探し当ててくださり「あなたにしてほしいのです」と夫に言われたのです。

聞いていて体がふるえました。これから大きく会社が変わっていくのを感じています。三男の命がけの行動のお陰で、佐藤先生とご縁をつなぐことができました。

すべてが大調和に向かっています。このありがたさに胸がふるえます。佐藤先生、仲間の皆様、本当にありがとうございます。

以上、I.Tさん(広島県)の体験談でした。

この体験談が、少しでもあなたの励みになれば幸いです。明日のメルマガも、楽しみにお待ちください。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

心の学校キャンパス・スタッフ 星野