こんにちは。心の学校キャンパススタッフ谷和代です。本日は、父親が娘に命がけで伝えた真我の愛の体験談をご紹介させて頂きます。
父の目が見えるようになった――それは、一度は医師に「不可能」と言われたことでした。
けれど、心の奥にある“真我”の愛が、思いもよらぬ奇跡をもたらしました。命を終えるその瞬間まで、父が娘に伝えたかったものとは……?
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佐藤康行先生いつもありがとうございます。
先日、父が亡くなった事で大きな気付きがあり、過去に戻らないという宣言のためにも、講師の勧めもあって、ペンを取りました。
私は75歳独身で父親と二人暮らしでした。母親が亡くなった直後から、父の目が見えなくなりました。医師からも目が見えるようになることはないと言われていました。
医師の言葉は絶対で、父も私も父の目は見えないものと思っていました。しかし、私自身がそのタイミングでカウンセリングを受けると、様々な気付きと心の変化を体験し、直後に父の目が見えるようになったのです。
ところが、それでも親子そろって信じられず、「そんなバカな」という思いが湧き、喜べなかったのです。そして当然目は閉じました。
それが7年前のことです。そして、カウンセリングを受けると都度目が見えたり、見えなかったりの繰り返しでした。気持ちだけが先走って「目を開けてみてよ」と怒鳴って喧嘩になることもありました。
昨年6月、急性腸閉塞にて緊急手術、早期回復、リハビリ兼ねて施設へ入所。今年5月始めに容態が急変して、5月27日に亡くなりました。97歳でした。
亡くなる1週間前のことです。面会に行くと、目を大きく開けて瞳をキョロキョロ動かし、「父さん」と呼ぶと、じっと顔を見つめてくれました。見えていました。
声は出せなかったけど、しっかりと見てくれているのが分かった。手を動かして顔の方へ伸ばせた。
それを見て、嬉しいと感じたけれど、涙は出なかったのです。葬式の時に泣けない自分がいた。号泣している妹が羨ましかった。葬儀が終わった後、自分自身がフワフワして何もしたくなくなりました。そんな時、講師に声をかけて頂き、カウンセリングを受けました。
カウンセリングで出てきたのは、父に対して顔も見たくない、大嫌いという想い。死ね、ざまあみろと叫んでいた。
自分でもびっくりしましが、自分の心の奥底で、こんな気持ちを握っていたのか。こんなドロドロを持っていた娘の姿を父は見たくなかったはず。
だから目を閉じていた。開ける訳がない。見たくないは親心でした。それでも最後には目をしっかり開けて、「見よ。しっかり見よ。」のメッセージをくれました。自分の命と引き換えに。
亡くなった時に出なかった涙が出て、止まらなくなりました。
お墓に行って、今まで読めなかった原点の心を読むことができました。ずっと父に背中を押し続けてもらっていたことに気付き号泣しました。尚且つ、父を独り占めしていたのは自分だったと気付き泣き崩れました。
お父さん、ありがとうございます。誰よりも可愛がってもらていた。その気持ちをしっかり受け止め、ここから真我に意識を向けます。
自分に一本芯が入ったのがわかりました。本当におかげさまです。今回、正直に書けたことが本当に嬉しいです。心がそのまま出せました。
ありがとうございます。
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心の学校キャンパス・スタッフ 谷和代