こんにちは。心の学校キャンパス スタッフの武田早苗です。
本日は H Y さんの 壮絶ともいえる体験談をご案内させてください。
この中には、他でみられるカウンセリングとの違い、殺意まで抱く過酷な体験、それでも道を外さず、求め続けて 本来の自分に出会った彼の姿がのべられています。
この内容が少しでも皆様の参考になればとの彼の熱い思いが届きますことを願っています。
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私は幼い頃から、強いくせ毛でした。幼稚園ではそれが理由で「外人だ」と呼ばれ、石を投げられるなどのいじめを受けました。園の先生や両親に何度も訴えましたが、誰も守ってはくれませんでした。
心の中には、愛情の欠乏感と無力感、そして深い絶望が積み重なっていきました。幼いながら耐えきれず、家出をしてみたこともありました。
そんな中、自傷行為によって左手の人差し指を切断してしまいました。皮一枚でぶら下がる指を見た母は、悲鳴を上げて腰を抜かしました。不思議なことに痛みはなく、母の叫び声に驚いて、私は泣いていました。幸い、少し歪ではありますが、指はつながりました。
それでも、いじめは高校を卒業するまで何度も続きました。学校も家族も何もしてくれない。
家出を繰り返し、死のうと思ったことも何度もありました。暗く、無気力な日々を生きていました。
家庭内でもトラブルが絶えず、そのたびに「全部お前が悪い」と責められ続けました。やがて、両親への不信感、怒り、恨み、憎しみが心を支配するようになりました。顔を見るだけでイライラし、感情は常に不安定でした。
25歳頃、「一人暮らしをして頭を冷やせ」と言われ、家を出されました。親が用意したアパートは劣悪な環境で、夜な夜な騒音に悩まされ、3か月ほどで自分で探した別のアパートへ引っ越しました。それでも親からの電話は続きました。
実家近くで事件があるたびに、「お前がやったんだろう」「分け前を寄越せ」と、理解不能な言葉を浴びせられる日々でした。
そんなある日、突然、両親への明確な殺意が湧いてきました。理性と殺意の間で引き裂かれ、気が狂いそうでした。
「このままでは何をしてしまうかわからない」そう思った私は、必死の中で「命の電話」を思い出し、電話をかけました。電話はすぐにつながりました。私は震える声で「今から親を殺しにいきます」と伝えました。
担当者は静かに、「お話を聞かせていただく場を設けます。我慢できますか?」と言いました。その一言で、私は初めて踏みとどまることができました。翌日、指定された場所でカウンセリングを受けました。
通ううちに気持ちは落ち着きましたが、心の奥には、何かに蓋をしたような違和感が残りました。
「親に襲われるのではないか」という強迫観念が消えず、木刀を枕元に置いて眠る日々が続きました。
30歳頃、結婚に失敗し、軽いうつ状態のようになりました。40歳頃には相続権をすべて放棄させられ、勘当されました。それでも、家族の反対を押し切り、ある女性と結婚しました。
50歳になる頃、父が脳梗塞で入院しました。ベッドに横たわる父を見ても、何の感情も湧きませんでした。
その頃、私はネットで「心」「精神」などの言葉を使い、必死に答えを探していました。そして、ようやく 「佐藤康行のこころの学校」 の存在を知りました。
それまで受けてきたカウンセリングは、問題に焦点を当て、それに対して助言を受けるものでした。
一方、こころの学校で伝えられていたのは、今起きている現象は、潜在意識に刻まれた記憶が表に現れたものにすぎず、本当の自分はそのさらに奥にある素晴らしい自分、という考え方でした。
問題を解決しようとするのではなく、もともと在る本来の自分を取り戻し、引き出すことが大切なのだ。私はその考え方に、強く惹かれていきました。
スタッフの方と何度も電話で話す中で、私は受講を決意しました。ところが翌日、長年勤めていた会社から事実上の解雇を告げられました。
それは、本当の素晴らしい自分に戻るんだと意識が向いた瞬間でした。そして戸惑うどころか、肩の荷が下りたようになぜかスッキリした気分でした。
退職金はわずかで、受講料には足りず、やけ酒で消えてしまいました。受講日が迫る中、父が危篤となり、医師からは「葬儀の準備を」と告げられました。母と妹は遺影の準備を始めていました。
私は、こころの学校のスタッフに延期の相談をしました。すると「お任せでいきましょう」
と明るく言われ、不思議と腹が決まりました。
母に「どうしても今週末に受けたいセミナーがある」と話すと、なんと母は快く受講料を出してくれたのです。当時は二日間の講座でした。
ワークの中で「親を神として見る」というテーマが出ましたが、父は酒好きで、どうしてもそうは思えず、母をテーマに選びました。
初日も二日目も心の奥に潜んでいる過去の記憶というゴミを出しているうちに、実は忘れかけていた両親への殺害したいと思っていた気持ちをも思い出し、苦しく、逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。
それでも講師の真摯な対応に支えられ、最後には講師の前で「親を恨んでもいない、憎んでもいない感謝しかないんです」と叫んでいました。その講座終了間際、私は一瞬心の中が静寂となり、体の中心からヴァーッとエネルギーが突き抜ける感じがしました。
そして両親への愛と感謝の思いが溢れて滂沱の涙となり、これが本当に自分に出会ったんだという体感をしました。
父がいつ亡くなってもおかしくない状況の中、私は翌日から学長の音声CDを聴き続け、書籍を何度も読み返しました。
受講から10日ほど経った頃、母から電話がありました。父は危篤状態から回復し、一般病棟へ移っていました。
医師は「なぜ回復したのかわからない。本来なら亡くなっていてもおかしくなかった」と話していました。
その頃、気づくと私の中から、両親へのわだかまりはすっかり消えていることに驚きました。父は二年後、急性肺炎で亡くなりました。そのとき私は「ああ、寿命だな」と、胸が熱くなりながら自然に思えました。
その後、母に面と向かって「お母さん、俺が悪かった。ごめんなさい」と、心の底から言うことができました。母と抱き合い、二人で大泣きしました。
今では、母との関係はとても良好です。安心して会話ができるようになりました。何かと用があると頼ってくれるようになり、今では高齢のため何度も何度も同じ話をしてくるようになりましたが、私はその都度初めて聞くように話を聞いてあげられるようになりました。
この体験談が、かつての私のように苦しみの中にいる方にとって、あきらめる必要のないこと、そして小さな光となることを、心から願っています。
いかがでしたでしょうか。心に深く染み入る内容ですが、ご本人が、投稿後に語ってくださった言葉を最後に記したいと思います。
これらの環境の中で、よくぞ自分はぐれずに警察のお世話になることもなかった。だからこそ、この家庭や学校の環境も、自分にとってはこの体験が必要であり、両親も自分がここに至るまでの役割を真剣に演じてくれていたという有難さでいっぱいですと述べられました。
最後までお読みくださり本当にありがとうございました。





