『東日本大震災後、不安感と忙しさでうつ病に。 受診後、生きていける確信とともに、うつが寛解、幸せになれると気づいた』 木ノ内哲也さん(仮名・50歳)

皆さん、こんにちは。心の学校スタッフ奥村です。

今回は、3・11の東日本大震災後、倒産の不安感と忙しさの中でうつ病を発症した方が、YSこころのクリニックでカリキュラムに取り組む中で、「私は生きていける」という確信を得ていかれた体験談です。

この体験談の中に「私はもう、うつにはならず、心の仕組みを知って、自分の心をある程度コントロールできると思います」というお言葉があります。

心の病から回復していくうえで大切なことは、自分で自分の心のハンドルを握れるようになっていくことです。

心というものは、ほっておくとコロコロと転がっていく性質があります。だからこそ、意識的に心のハンドルを握っていくことが大切になるのです。それでは木ノ内哲也さんの体験談をご紹介いたします。

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◆うつで体が動かず失職◆

3・11の震災があった当時、私は福島県でギフト会社の役員をしていました。50人を超える従業員を指導しながら建築の仕事もしていたところ、会社が倒産するのではとの不安感と忙しさのなかから、地質の2~3ヵ月後にはベッドから起き上がれなくなりました。

それから2年ほどは、体が動かなくても何とか踏んばりました。しかしその後、ついに3ヵ月の休職。それからは自動失職という形で退職することになりました。

それからというもの、ひどいときにはひと月以上部屋から出ず、風呂にも入れず、歯も磨けず、食事も1日1食できるかできないか、といったあり様でした。

うつになってからの生活は破綻していて、本当にこのまま生きていけるのか?出家する以外、道はないのではないか?そう思っていました。

始めは、自分をうつだと認めたくなかったんです。それまではうつになったこともなく、体が動かなくても目を背けていました。

そうしたら、ひどいめまいが頻繁に起きるようになっていったんですね。市内の心療内科を含む診療科目を10ヵ所位回りましたが、めまいの原因は分かりません。

めまいの外来で、日本でけっこう有名な先生が横浜におられ、そこから縁があって横浜市内の心療内科を紹介されてしまったんです。すると1錠だった強い薬が2錠になり、量が増えていくばかりになりました。

◆色々な愛を受けていた!◆

YSメソッドのことは以前から本を読んで知っていたのですが、親戚縁者の支援があったお蔭で、毎週、東京のYSこころのクリニックに通えるようになりました。

治療の効果は徐々に現れて、あれほど確執があった母から、強い愛情を受けていたことに気づかされました。それからは自然の恵みの愛、友人が周囲に対して行っていた無償の愛など、万物との関わりのなかで、色々な愛を受けていたことがわかりました。

通院から2ヵ月後、2日間の集中カリキュラムを受診した時、「足るを知る」という言葉が、ポーンと自分の胸に落ちてきたんですね。そうしたら涙が止まらなくなって、それで「ああ、これで私は生きていける」と確信が持てました。

そしてこの日、私はうつから脱することができたのです。

◆病気も怖くない生き方◆

私はもう、うつにはならず、心の仕組みを知って、自分の心をある程度コントロールできると思います。コントロールと言うより、この世に生かさせて頂いているという、謙虚な気持ちですよね。

簡単な言葉で言っていますが、そのような気持ちになれたことで、はっきり言えば病気も怖くないと思います。

また、お金に苦労した部分もありましたが、お金が私の人生のすべてではありません。

ずっと50年間生きてきて、今までは仕事のなかに人生を入れていたように感じます。そうではなく、人生のなかの仕事や自分の行動なのですね。

そうやって当てはまっていったものが最終的に自分が納得でき、本当に素晴らしいと思えれば、何かのこだわりだったり、固執したものを持たなくても、自分が幸せになれる。そう気づきました。ありがとうございました。

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すばらしい体験談ですね。東日本大震災では多くの方が、精神的に辛い思いをされました。木ノ内哲也さんは、お金や仕事よりももっと大切なものに気づかれました。

そして、自分で自分の「心のハンドル」を握ることが回復につながると知ることができたのです。

皆さまの希望の光となりましたら幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

心の学校キャンパス・スタッフ 奥村紀子