こんにちは。心の学校・キャンパススタッフの池田和秀です。
かつての私は、「湿った岩みたいな人」と呼ばれていました。
その言葉通り、いつも思い悩み、終わったことを後悔し、ため息をつくのが日常でした。
そんなふうにジメジメと悩み続ける私の姿を見て妻が言った言葉が、この「湿った岩みたい」でした。
いま振り返れば、自己肯定感が低く、自分に自信がないことが、思い悩む心を生み出していたのだと思います。
こんな生きづらい心から抜け出すことができたのは「心の学校」と出逢ったからです。
特に、2日間集中カリキュラムの中で父母を否定する心が感謝に変わったとき、自分のことも肯定できるようになりました。
けれどもこれは、心の変化のゴールではありませんでした。
2日間集中カリキュラムの受講を繰り返し重ねるなかで私は、より深いレベルでの自己肯定を手にする経験をしたのです。
それは、心の奥底にあった、まったく自覚していなかった思いとの直面でした。
何回目かの2日間集中カリキュラムの中で、父母をテーマに心を掘り下げていたときのことです。
突然、自分の心の奥底から「生まれてきてごめんなさい!!」という思いがわきあがってきたのです。
「障害のある身体で生まれてきてしまって申し訳ない」という、父母に対する罪悪感が、涙とともに溢れてきました。
自分の中にそんな罪悪感があるなんてそれまで生きてきて1ミリも感じたことはありませんでした。
「自分の中に自分の存在を否定する思いがあったんだ」と知ることになり、心の奥底から出てきたものに驚きました。
もしここで、ワークを終えていたら、私は罪悪感を抱えたまま、この後の時間を過ごすことになったでしょう。
けれども、ここから先がありました。
あふれる罪悪感とともに、さらに父母への思いを書き進めていくと、「そんな自分が産まれてきたことを父母が心から喜んでくれた」ということが見えてきたのです。
父母だけではありません。
「おじいちゃんも、おばあちゃんも、みんなが私が産まれてきたことを祝福し、喜んでくれたのだ」と心の底から感じることができました。
「自分はこんなにもみんなに喜ばれながら産まれてきたんだ!生まれてきてよかった!」という感動が私の中にあふれました。
さらに自分という存在に対して「おじいちゃん・おばあちゃんから父母へ、そして父母から自分へと、私は生命を受け渡されてきたんだ」という気づきもやってきました。
「この世に生まれてきて本当によかった!」涙とともにこの思いに満たされたとき、私は自分という存在のおおもとからの自己肯定を手にすることができたのです。
この日を境に、私は「湿った岩みたいな人」から抜け出すことができました。
本当におかげさまです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。
心の学校キャンパス事務局
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