皆さん、こんにちは。心の学校スタッフ奥村です。
妻との衝突と仕事の不調でうつ病になってしまいましたが、YSメソッド受講後、流れが完全に変わり、うつ病完治し仕事も順調、すべてが前向きになられた篠原泰史さんの体験談をご紹介いたします。
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【仕事と家庭の問題で苦しむ日々】
私がおかしくなってしまったのは、仕事の悩みと妻との関係が原因です。
これまで東京都内にある不動産・建築系の会社に30年勤めてきた中で、トントンと順調に35歳で部長になった後の十数年間は、何かとうまくいかなくなってしまったのです。
広く浅く業務を担当していて、いわば社内の便利屋のようになっていたのですが、評価されるのはひとつのことに詳しいスペシャリストの人達。
部長になって以降は昇進できず、次々抜かれていってしまいました。私が入社してからの間、どんどん大きくなって順調に成長する会社。その中で私だけが取り残されているような気がして……。
色々な仕事ができるのは良いことだと自分に言い聞かせていましたが、心の中では、割り切れない思いが渦巻いていました。
一方家庭では、子供が生まれてから妻と衝突することが増えていきました。
たとえば、私は体調が悪くなったらすぐ病院に行ったり、薬を飲んだりして気分的に安心したら体も治るというタイプなのですが、妻は薬を嫌がる人でした。
夫婦二人だけの時は、それぞれの価値観ですから特に大きな問題にならなかったのですが、子供ができてからは、「病院に連れて行くべきだ」「寝かせておけばいい」と意見が対立してずいぶんモメました。
それ以外でも、妻は、私のやることなすこと、すべてを否定するようになっていったのです。私だけではなく、息子に対しても何かと責め立てるような言い方をして、家庭はひどい状態になりました。
息子は、中3の時ストレス性の腹痛で救急車に乗ったこともあります。
5年くらい前には妻がうつ病になって3ヵ月間入院することになり、そのために転勤を断って出世のチャンスを逃しました。
ただ、息子にとっては、妻が家にいないほうが気楽だったようです。
息子は当時まだ高2でしたが、妻が入院する前は「お母さんと一緒にいたくない、一人暮らしさせてほしい」とまで言っていましたからかなり苦痛だったようで……。
妻の入院中は自由に伸び伸びしていたのですが、退院した妻は帰宅したその日に「成績が落ちている、何をしていたんだ」「私がいなくても勉強しないじゃないの」と息子を責め立てていました。
息子はもともとあまり勉強しなくてもできる、頭の良い子だったのですが、高校に入ってから勉強の意欲を全く失い、勉強を全くしなくなりました。
高校はとりあえず卒業はしたものの、大学受験も希望通りにはいかず、妻はそれも気に入らなかったようで、やはり息子に文句ばかり言っていました。
私も誹謗、中傷しかない会話に参ってしまって、家に帰りたくない、外の人と一緒にいるほうが明るくいられるという状態でした。
つらくなって何度かカウンセリングを受けましたが、目的もなく何となくしゃべるだけのようにも思えましたし、妻が「病院に行くなんて許さない、行ったら火をつけてやる」と言うので、通院だけでもひと苦労でした。
妻なりに私を心配してか、料理を頑張ってくれたりしていましたが、「体にいいものを作ったんだから食え!」とばかりに強制されたので、食事も苦痛でした。
それでも、妻に反論できず、言われるままにしている自分は、まるで見えない鎖で縛り付けられているかのようでした。
【うつで休職、妻の自殺未遂でドン底に】
いよいよ私の心身が限界に達したのは、昨年の初めくらいからです。
2つの部署の部長をしていましたが、双方の部署で相反することが起こり、その調整で板挟みになってしまいました。
夜は23~24時まで仕事をするのが当たり前。ほとんど毎週、土日も出社していました。
上司に相談しても、励ましの言葉をかけられるどころか「逃げているだけ」「小学生にもできる仕事だぞ」と言われ、それが罵声にしか聞こえず、責められているように感じたのです。
誰かに相談すればするほど悪化する、負のスパイラルに陥っていました。今思えば、当時の自分は根回しベタで、人を労うこともできていなかったと思います。
人も信じられず、任せることができないので、何でも自分でやろうとしてしまい、誰も協力してくれなくなりました。
頑張れば頑張るほど、「人をうまく使えない」ということで、評価も下がってしまいました。昨年の4月には、上司からの事前相談もなく突然の異動辞令。
プライドがズタズタになった私は、数日もしないうちに出社できなくなり、そのまま病院に行きました。
医師からうつ病の診断を受けた私は、それを会社に報告した途端、即休職することになったのです。
休職してからどうしてよいか分からない私に対して、妻はあなたが悪いと責めるばかり。どんどんおかしくなる私を「これはまずい」と思ったのでしょう、息子が見るに見かね妻のいない隙に私を連れ出してくれ、少しの間、甲信越地方にある実家に帰ることになりました。
休職が決まった後の1週間はもうメチャクチャで、記憶が曖昧です。
仕事を放り出して来てしまった罪悪感もありますし、休んだはずなのに会社から呼び出されたりして、会社への不信感も募っていきました。
5月中旬には多少良くなり、産業医と面談をして復帰が決まりましたが、今度は反対に妻がおかしくなりました。私の仕事復帰の2日前、マンションから飛び降り自殺を図ったのです。
偶然屋上で仕事をしていた工事の職人さんが気づいて止めてくれました。その後何度か自殺を図り最終的には警察が来て大騒動になり、ただちに措置入院が決定。
1ヵ月で退院しましたが良くならず、また入院……。私を支えてくれた息子も順調とは言えず、勉強も仕事もしないで引きこもり、家族はバラバラの状態でした。
【自分で決めたら、流れが変わった!】
YSメソッドに出会ったのは、そんな頃です。
メルマガか何かで『うつ病は90日で90%が治る』というYSメソッドの本が紹介されていて、何かストンと自分の中に入ってくるものがあったのです。
最初は、妻のうつ病を何とかしたくてYSこころのクリニックに行ったのですが、カウンセラーから「奥さんじゃなくて、まずはあなたのうつ病を治すんですよ」と言われたのが印象的でした。
受診するかどうかは非常に悩みました。8月の上旬に最初の「2日間集中カリキュラム」があったのですが、仕事が忙しく、休めそうになかったのです。
しかし、カウンセラーの方に、「決めれば何とかなりますよ」と言われ、休みを取ることにしました。
結果として、これが大正解でした。「休む」と決めた途端に、不思議と仕事を手伝ってくれる人が現れ、本当に何とかなってしまったのです。
「なんだ、終わるじゃん!」と思いましたし、手伝ってくれた人へも感謝の気持ちでいっぱいになりました。
9月にも2度、2日間にわたるYSメソッドの「2日間集中カリキュラム」を受診するために思い切って仕事を休みました。
最初は無理だと思っていたのですが、「この流れを切ってはいけない」と思い、受診することにしたのです。
この時にはまだ、うつが治った手ごたえがすごくあったわけではなかったのですが、「YSメソッドを受診する」「そのために思い切って仕事を休む」こと自体が、私にとって良い変化をもたらしたのです。
何かが流れ出した。変わり始めている。そんな実感が、確かにありました。YSメソッドを受診していく中で、大きな愛の中にいるような不思議な感覚を得たこともありました。
一気に体が熱くなるような不思議な経験もしました。先祖や親への感謝の思いも湧き上がってきました。
私の場合は特に親への恨みなどはなかったのですが、よりハッキリと、「ありがたい」という感謝の気持ちが出てきたのです。
自分のことをじっくり考える時間を持つことで、忘れていたことを、色々思い出したり、今になって気づくことが出てきたりするんですね。
たとえば子供のころ、病気になり、入院をしたのですが小児病棟が空いていなくて、重い病気の方がいる成人病棟に入院しました。
同室の人や隣室の人が亡くなる状況を見て、母が「良い子にしてないとお前も死んじゃうよ」と私に言ったことがありました。
その時は怖かったけど、母は、私を良い子にするための脅しとしてそんなことを言ったわけじゃない。大事な子供を失いたくない気持ちで言ったんだと、本当の愛を感じることができました。忙しかった父も、口には出さないけど私のことをいつも見守ってくれている。そんなことが分かるようになりました。
そして、最初の受診から1ヵ月ちょっとで、3度目のグループセッションを受けた後、なんだか良く分かりませんが毎日が楽しく、嬉しく感じ始めたのです。
「自分はもう大丈夫だ。どんどん良くなっている」と思えるようになったのです。
今まで通っていた別の病院の先生の元を訪れ、「今日でカウンセリングは終わりにします。くだらないこだわりがすべての原因だったんです。無駄な時間を過ごしましたがもう大丈夫です。今日はそれを伝えに来たのです」と、挨拶をし、先生からも「卒業」と太鼓判を押して頂きました。
先生も、私の楽しそうな様子にとても驚いていましたが、そのエピソードをカウンセラーの前で話した時に、私は自分のうつが完治したことをはっきりと自覚したのです。
YSメソッドを受けて気づいた、私にとって大切な第一のキーワードは、「決める」ということだと思います。
思えば、仕事がうまくいかなくなったころ、上司に相談した時も同様に「決めたらいい」と言われていたのです。あの時できなかったことが、なぜかできるようになったのが不思議でした。
【自分自身の肯定、感謝の気持ちがあふれてきた】
もうひとつ、私にとってキーワードになったのが、「認める」ということです。
「2日間集中カリキュラム」を受診した際のワークで一緒になった人と話をしていて、「本当に1ヵ月で? それはすごいですね」と言われたことがきっかけで、自分を認めることができるようになったのです。
それまでは特に自覚がなかったですし、受診前の私は、常に自分で自分にダメ出ししていました。私を否定していたのは妻だけではなく、私自身でもあったのです。
何をしていてもまだ足りない、まだ足りないと思っていましたし、今までは積み上げるという発想しかなく、「こんなにやったのにどうして」と思っていたのですが、「ちょっとはできてるかな」「いいじゃん」と思えるようになりました。
こうなると、色々な現象が一気に起こり出しました。
シンクロ現象というのでしょうか、YSメソッドで学んだのと同じようなことを、ベストタイミングでほかの人から言われたり本で読んだりして、より深く納得できるということが頻繁に起こったのです。
今まで目に入らなかったこと、耳に入らなかったことがどんどん入ってきて、色んなことがつながって、ストンと納得できる。
そして、気持ちが軽くなっていくのを実感しました。
実生活でも、友人知人からの誘いが増えましたし、笑顔で話ができるようになっただけでも、以前の自分からは考えられない変化です。
引きこもっていた息子も、今は仕事を頑張っています。
最初は妻の退院前に、「母親と一緒にいたくない」ということでイヤイヤ仕事を始めたのですが、努力して評価されることに、やりがいを感じ始めたようです。
妻の状態はまだ良くなったわけではないのですが、これは、私に課せられた卒業試験のようなものだと思っています。
この世には色々な縁がありますが、良くない因縁は、自分の代で断ち切らなければなりません。うつ病は成長のための気づきで、気づいた人から変わっていかなければいけないのです。
そのためには、まだまだこれからも勉強していくこと、まずは自分が変わること、本当の自分の心、愛の心で妻に接すること。正直とても難しいですが、何となく先が見え始めています。
今見え始めた一筋の光を、もっとしっかりとした、大きな光にしていけたらいいなと思っています。本当の自分を知った今からが、本当の始まりだと思います。
●受診前
1.妻に自分の全てを否定され、家庭がメチャクチャだった
2.仕事がうまくいかず、誰に相談しても悪循環だった
3.気力が湧かず、うつ病で出社できなくなった
4.妻が自殺未遂や入退院を繰り返し、自分も疲れきっていた
↓ ↓ ↓
●受診後
1. 自分を否定していたのは自分自身だと気づいた
2.人のアドバイスを素直に受け取れるようになった
3.うつ病が治り、他の病院の治療を卒業できた
4.妻としっかり向き合っていく覚悟ができた
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篠原泰史さんの体験談を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
簡単なことではなかったのですが、「決める」そして「認める」を実践して、篠原さんは劇的にご自身と家族が変化していく体験をされました。
皆さまの希望の光となりましたら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。





