皆さん、こんにちは。いつも読んでいただきありがとうございます。「心の学校・キャンパス」スタッフの武山裕之です。
本日は、これまで瞑想は「雑念を消すもの」と思っていた方の体験談です。彼女は真我瞑想に出会い、その考えは一変しました。
音も感情もそのまま受け入れる瞑想法が、心に深い静けさと気づきをもたらしてくれたとおっしゃっています。
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「真我瞑想を知り、今まで自分がやっていた瞑想とはまったく違うものだと感じました。以前は瞑想を、心を落ち着かせ、無になるためのものと捉えていました。
雑念が出てくれば何とか押さえ込もうとしていたわけです。集中しないといけないものだと購手な捉え方をしていました。
でもこの真我瞑想は、聞こえる音やその時に出てくる映像、感じるものなど、湧き出てきたものを無理に押さえ込んだりしません。
雑念が出てきたら、今の自分にはまだそういう雑念が心にあるのでしょう。でも、すべては実体のない妄想です。
ですから、以前やっていた瞑想と比べて、楽に入れます。場所も選びません。どこでも出来ます。静かな場所である必要がないのです。
私は電車の中でよく瞑想をします。自分が感じたこと、聞こえたことを、そのまま利用して真我瞑想に入ります。
深く瞑想状態に入ると、気がつかないうちに真我瞑想をしていることさえわからなくなります。今は毎日、朝と寝る前の二〇分を主人と一緒にしています。
やってから寝ると、気づきが得られることもあります。
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もし瞑想に窮屈さや難しさを感じているなら、真我瞑想を試してみてください。無理なく、ありのままの自分を受け入れることで、心が自然に整っていく感覚を、きっと実感できるはずです。
心の学校キャンパス・スタッフ 武山裕之