うつ・登校拒否の娘が、自分の夢に向かって動き始めるまでに回復!

皆さま、こんにちは。いつも有り難うございます。心の学校キャンパスの金田です。

うつ・登校拒否の娘が、自分の夢に向かって動き始めるまでに回復!田村千由紀さん(仮名・53歳)

今回は、うつで登校拒否だった高校生のお子さんとご一緒に治療に取り組まれたお母さまの体験記をお届けします。

家族コースに通うなかで、お子さんがご自分の夢に向かって進み始め、お元気になられた体験談をぜひお読みください。

◆嘘をつかされた子ども時代◆

私が効いころ、あまり父が家に戻らず、「時々来るおじさん」といった感じでした。父は私のことを「可愛くない」と言ったそうでそれを聞いた母は父と離婚しました。

それからの母は、男性関係が割と派手で、しかも、母がデートで留守中にほかの男性から電話が来ると、娘の私に嘘をつかせたのです。

結婚後、子どもができて思い出したのは、幼い頃、電話で嘘をつかされたことでした。

当時は母に言われるままでしたが、どれだけひどいことをさせられたのかが分かり、それが心のどこかにずっと引っかかっていたのです。

◆娘が登校拒否に◆

今から5年前のことです。当時高校2年生だった娘が、登校担否になりました。

原因は、英語の授業で日本語が一切許されなかったことや、友人同士の人間関係の悪さが、誰とでも仲良くしたい娘にとってストレスだったようです。

心療内科では、「抑うつ」「心身症」「うつ状態」などと診断されましたが、どこの心療内科に行っても良くはなりません。

一番ひどかったのは高校を辞めた直後の3ヵ月間で、片時も目を離すことができませんでした。

夜になると「怖い!怖い!」とわめいて外に飛び出したり、ベランダにぶら下がったり、いつ飛び降りて死んでしまってもおかしくない、あまりにひどい精神状態だったのです。

娘は、今でもその頃のことを思い出せないくらいです。

幸いにも、高校の先生の励ましで東京の大学への入学が決まりましたが、せっかく受かった大学も、半年ほどで行けなくなってしまいました。

そこで、東京でも評判のいい心療内科を受診しましたが、根本治療にはならなかったのです。娘だって好きでこうなったわけではないし、私が言葉で娘を責めたらダメになってしまう。

しかし、我慢していても、心のどこかで娘を攻撃してしまっていたのでしょう。私が何気なくついたため息で、娘をひどく傷つけたこともありました。

◆娘が劇的に変わり始めた!◆

そんななか、YS メソッドがあると聞いて早速娘を連れて行きました。娘は自分の心を深く掘り進めるカリキュラムのワークが苦手で、気が進まない様子でした。

それでもカウンセラーが娘のあるがままを受け止めて「好きなことだけしてみたらどうか」とアドバイスをいただきました。

娘は料理が好きなので、作ったものを写真に撮ったり、クッキーを焼いてカウンセラーに持って行ったりしました。

すると、娘はどんどんイキイキし始めたのです。登校拒否になって始めた朝食作りもますます頑張り、前日の夜から下ごしらえするまでになりました。

娘の好きなことに心の方向を向けて頂いたのが、後々うつ状態から脱した大きな力になっていると思います。

娘の将来の夢は、ヨーロッパで和のテイストを取り入れたカフェをオープンすること。そんな娘に、カウンセラーに頂いた意外なアドバイスが、「今すぐカフェでアルバイトを始めてみては」ということでした。

「治ったらバイトをしよう、じゃなくて、まずは好きなことをやってみればいい」という方針からのことでした。

早速カフェの面接を受けた娘は、店長さんに心の病気のことを正直に話しました。すると、店長さんは、「よくアルバイトをしようと思えるところまで回復したね!」と一緒に喜んでくださいました。

お客さんが喜んでくれるから、お客さんのために頑張れる。娘は、人のためになった時、ものすごく力を発揮するようです。

これまでの娘では考えられないくらい元気に通っています。もう、娘のうつ状態はどこかに消えてしまいました。大学も近々復学する予定です。

今はその夢に向かって、さらに毎日キラキラと輝いています。お読みいただき、有難うございます。

親子はひとつ。お母さんの心のわだかまりがお子さんに影響を与えている場合があるのです。子どもは先生です。

それも生命をかけて教えてくれる「生命の教え」の先生です。それをキャッチできるように、親自身が心の耳を磨いていくよう、子どもたちが導いてくれているように感じました。

明日のメルマガも楽しみにお待ちください。最後までお読みいただき、有難うございました。

心の学校キャンパス・スタッフ 金田美好