私の記憶の中の母が変わったとき

皆さん、こんにちは。お読みいただきありがとうございます。本日のブログを担当させていただきます。心の学校キャンパス、スタッフの小原尚美です。

今回は、「私の記憶の中の母が変わったとき」というお話をさせていただきます。

私には、今年85歳になる母が居ます。とても元気で頑張り屋で働き者です。ただ、私の記憶の中の母はいつも家に縛られ働き詰めで苦労をしたかわいそうな人でした。

家計は祖母(姑)が管理していたのでデパートで洋服や下着などを買って帰ると、祖母の前に買って来たものを広げて見せなければなりません。

なので、祖母(姑)に「返して来なさい」と言われそうなものは、家に入る前にこっそり部屋の窓から入れていたのを覚えています。

ずっとではなかったのでしょうが、小さかった私には、厳しい祖母の姿と母の様子が強く記憶に残りました。

そして、幼稚園の頃だと思いますが、その印象を決定づけた出来事がありました。

親戚から、病気の祖母(実家の母)の様態が悪く、今夜が峠だから急いで帰っておいでとの電話が入りました。

母は祖母(姑)と父に帰らせてほしいと頼みましたが、許してもらえず、泣きながら何も持たずタクシーに飛び乗って帰って行きました。

子供の時の記憶ですから、これが本当に全部そうだったのかも、その背景も定かではありませんが、その時一緒にいた父が、なぜ母に「行っておいで」と言わなかったのか、祖母の言いなりなのかと子供ながらに、父親に対して不信感を持っていました。

嫁は姑の言うとおりに仕えるもの。実家にも自由には帰れないもの。自分を殺して我慢、苦労はあたりまえ。

「夫は守ってくれない」という、私が捉えた記憶が、私の男性観や結婚観として、自分の人生に大きく影響を及ぼしていたとは、実は思っていませんでした。

それが、本当の自分に出会う「真我開発講座」を受講してから「本当の母は、私が思っていた母ではなかった」と捉え方が180度変わったのです。

そもそも、父を愛していたから、母は苦労だと思っていなかった。

自分の母の看病が出来なかった分、病院の方が感心する程、献身的に祖母(姑)の看病をして、最後の死に水を取ったのも母でした。

母は、かわいそうな人ではなく、幸せで愛に溢れた強い人、だから人に愛を注ぐことができたのだ、にひっくり返りました。

私の記憶の中の母が変わったとき私の結婚観や男性観、生き方が変わり、母も変わりました。

明るくなり、家族に大切にされ本当にいい人生を送っています。

もし、このことに気付かなければずっと、私が思い込んだ母のままで私は、その母の姿をベースとした人生を生きていたでしょう。

本当の母に出会えたときに本当の自分にも出会えたのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

心の学校キャンパス事務局